情報理工学系の産業界とアカデミアは今後どうしたらいいの?
研究分野が近く、大学が同じで、Microsoft 本社(Redmond)での研究インターン経験があり、…と共通点の多い落合君が「日本の IT が永久にアメリカに勝てない理由」という興味深い記事を書いていました。アメリカの IT 業界の先進性、日本の IT 業界が抱える構造的な問題、博士号取得者の活用、その他諸々のキーワードに反応する方々の心を広範囲に鷲掴みにして話題をさらっておりました。あと、「エリート情報系の諸君.今すぐ内定を蹴ってシリコンバレーに来なさい」というはてな匿名ダイアリーの記事もだいぶブックマークを集めてましたね。
この二つを読んでどうもモヤッとしたので考えをまとめておきます。とくにこのエントリでは感想に続き「IT 業界はどうしたらいいの?」「アカデミアはどうしたらいいの?」について書きます。アメリカという国、あるいは Microsoft の研究部門の特殊性についても一言あるのですが、それはまたいずれ。
7 月 24 日追記; これを読んでいる修士~博士課程の学生の方には「コンピュータ科学の博士課程にきて初めて分かったこと 4 つ」もおすすめです。
記事を読んだ感想
落合君の記事は、広範囲に影響のある話題として書いているわりに動機部分はシンプルで、アメリカ在住で日本のポストに興味のある優秀な博士課程・ポスドクの友人に「日本においでよ」とすぐ言えないことです。その理由として、博士課程の学生に対する待遇の違いと、博士課程修了後の待遇の違いを挙げています。
これ、Microsoft 本社の研究棟(Building 99)に行ってみるとボヤきたくなるのは分かるんですよ。ものすごい高給もらえるし、コンピュータ科学のあらゆる分野の研究者が一棟に集まってやりたい放題しているように見えるし。聞こえてくる噂も、Microsoft がニューヨークに新しくラボを作って Yahoo! NY の研究者を拾った話だったり、誰それが MS 謹製の某次世代機の開発に関わってるらしいという話だったり…どこかの研究所が潰れても優秀な人は必ず拾ってもらえるだけの地盤があるし、研究と製品開発の距離感も日本より適正な感じがします。
あと、アメリカの情報理工学系の学生が引く手あまたなのも確かです。修士を出てベイエリアでインタラクションデザイナーしていたり、博士課程の途中でスタートアップ企業を作ったりというのがざらです。スタートアップみたいなリスクを取れるのは、失敗しても引き受けてくれる会社がたくさんあるからですね。だからシリコンバレーに来なさいと言いたい気持ちも分かる。
そこで、日本もこういう優秀な人材に対する待遇をよくすべき、という落合君の意見は非常に真っ当です。ただ無い袖は振れないというか、日本社会として限られたリソースをどう割り振るかという実際上の問題がすごく大きいと思うんだよね。あと、優秀な学生が海外に流出していく可能性はまぁその通りあるわけだけど、本人たちはじゃあ待遇がいいところにすぐ流れるかというと、僕自身の実感として、そんな単純じゃないんだよなぁ。
このように、産業界についてはマクロな視点から、アカデミアについては個々人のミクロな視点を中心に「どうしたらいいの?」を書きます。
IT 業界はどうしたらいいの?
ところで僕、この業界にいながらずっと謎だったことがあって、「IT 業界」ってどの会社指してるんですかね。最近ようやく整理がついてきて、B2B の SIer だけ特別扱いすればわりとスッキリ分類できるなあと感じたところです。これはオフトピックなのでまた今度。それで、SIer を除けば、日本では次の 3 つの社種が重要な役割を担えると思っています。
- メーカー
- Web・コンテンツ
- スタートアップ
ゲーム制作会社は任天堂などメーカーとコンテンツの間に位置するものもありますが、便宜上コンテンツ系の中に入れて大丈夫そうです。最近ではメーカーの中に社内ベンチャー制度があったり、Web 系の会社はそもそもスタートアップだったり、境界は曖昧です。
3 社種が今後どう振る舞うか、予想は難しいんですが、個人的にはメーカー各社に優秀なソフトウェアエンジニアや研究者を少数精鋭として高給で雇ってほしいです。Web 系・コンテンツ系企業が成長してメーカーの製造技術を吸い取るほうが先になるかなぁ。あるいは、スタートアップのエコシステムがしっかり成立するのが先かもしれないですね。
どのシナリオにせよ、優秀なソフトウェアエンジニアないし研究者が少数精鋭でチームを組んで異業種に貢献していくスタイルを目指すべきだと思います。情報技術の核心は、これまで人海戦術でしか不可能だった業務がものすごい効率化して少人数で可能になることです。このあたりのことは常識だと思っていたのですが、意外とそうでもないようで…。
例えば、新海誠氏や吉浦康裕氏が個人でアニメーション制作できるようになったのはデジタルのツールの進歩あってこそですよね。Maker ブームも、その文脈で見ると、これまでメーカー社員にしか作れなかったハードウェアが誰でもプロトタイピングできるようになったことで起きたものです。(余談ですが、僕はこういう創作支援がしたくて研究をしてきましたし、今後もしていくつもりです。)
昔から、ゲーム制作会社には神みたいなプログラマがいて、他のプログラマやデザイナーの業務をものすごく効率化していると聞きます。こういうタイトな協業を、まずは親和性が高く日本がリード可能な業界から始めて、いずれは社会全体に広げていけたら理想的だろうなと思います。
アカデミアはどうしたらいいの?
落合君の記事には経済面での絶望的な差が書いてあって、それは次のようなものです。
- Microsoft みたいな米企業は優秀な研究インターンに月 70-90 万払う
- 日本には奨学金を出す仕組みがそもそも少なく、最も高額な学振でも月 20 万給付
- 国立大の助教の平均給与は年 450 万
日本の情報理工学系の博士学生は世界レベルで戦える実力を持っているのにこんなに待遇が違うのはおかしい!…確かにそうなんだけど、いやちょっと待てよと。書いてる本人は月 70-90 万のインターンに行けてるわけですよ。さらに、(インターン期間中は給付一時停止になりますが)学振ももらっている。
僕の主張は、世界レベルで戦える情報理工学系のエリート博士学生は、日本にいながらにしてそういうチャンスをつかめるんじゃないの?ということです。さらに言えば、そのメリットを享受したからといって、本人にとっての選択肢が増えるだけで、本当に流出するとは限らないと思うんですよ。
食いっぱぐれないセーフティネットを用意する
そもそもこの分野の博士学生は恵まれています。学振があれば生活には困らないはずで、その額で好きな研究をしている諸分野の学生が多数いる事実はまず踏まえておくべきだと思います。博士課程で授業料払わされるのは、アメリカの博士学生を見てると本当にアホらしくなりますが、イギリスでは我々同様に授業料を払ってます。日本のように比較的少額の奨学金をなるべく多くの人に撒くというのは、イギリス政府も採っている方針です。
日英の奨学金のよいところは、政府から直接給付されたお金なので、教授との力関係もわりとバランスが取れているし、義務も非常に少ないことです。それで、業界を絞れば、もし研究のキャリアが嫌になったら働く会社もある。最近だとビッグデータ系の働き口が急に増えましたが、とにかく実装力がそれなりにあれば食いっぱぐれることはまずないでしょう。
食いっぱぐれないことは誰にとっても大事なことです。そういう安心感があれば、好きなことをやろうという気になります。海外から薄給で日本へ研究インターンにきている人々を多数知っていますが、彼らはだいたい、好きなことができるから、あるいは一緒に研究してみたい人がいるから、日本にきています。お金は二の次です。このように、ある水準を超えるとあとはお金よりも仕事のインパクトや自由度、人材の魅力が大事になってくるものだと、僕は考えています。お金がたくさん欲しい人もいるのは知っていますが、本当にお金が欲しければ転職するほうが効率がいいはずです。
現状、就職先に困らないという点において社会の側のセーフティネットは幸いほぼ完成していると思うので、あとは博士在学中にお金に困らないようにできれば十分だと思います。
博士課程の学生に様々な経験を積ませる
食いっぱぐれないことが分かっている情報理工学系で博士課程の学生は、金銭面を度外視して働きたい環境を実践的に探してみることが一番大事だというのが僕の意見です。学生の間に海外に行ってしばらく住んでみれば、海外に行きたいという目的は手段になります。諸先輩方の頑張りで、アメリカの著名企業にインターンに行くための道はちょっとずつ広がってきています。例えば Microsoft 本社の研究インターンには日本の大学から一年に数人しか行っていなかったものですが、近年着実に人数が増えています。このような勤務経験を積むと、どんな場所で職に就きたいのか真剣に考えられるようになります。
また、企業の研究所だけでなく、論文で何度も名前を見かける教授の研究室にしばらく滞在して一緒に研究してみれば、自分に向いた研究スタイルが見えてきます。例えば、著名な国際会議で発表できると、そのセッションを聴講しにきている研究者にアピールできます。博士課程で「まずは論文発表することだ」と指導されたのをよく覚えています。こうして懇意になった先生のところに行ってみるなどして、様々な人・分野での研究経験を積んでいくと、自分が何をしたいのか明確になってくると思います。
このように、僕は、博士課程には職業選択の自由を勝ち取るための過程という面があると考えています。世界が選択肢に入ったとき、改めて日本が魅力的に見えることも大いにあるでしょう。僕は、事実、そうして日本で働くことを選びました。同様に、アメリカでもイギリスでも、どの国の学生であっても博士課程の友人は自由のために、あるいは本当にやりたいことのために学位取得を目指していました。
そこで、学生を研究室に閉じ込めるのではなく、様々な場で研究することを研究業界が一丸となって後押しすることが大事だと思います。例えば企業の研究所は、インターンの学生が研究成果を論文化できるようにしてあげる。大学の研究室は、他大の学生の滞在を受け容れ、また、他大への留学を進めるといったことができるとよいでしょう。
海外の優秀な学生が集う場を用意する
ここまで書けば、海外の優秀な学生を日本に招くための戦略も明確になってくると思います。それは、ただお金を撒くのではなく、一緒に働きたいと思えるような国際的にビジビリティの高い人を増やして、相応の裁量を与えることです。研究であれば、欧米と全く同じことをしていても資金面で押されてしまうので、日本固有の強みを持ったトピックを進める必要があります。そうして、この研究がしたいなら日本に行くべきだという常識を国を超えて持ってもらうことが肝要だと思います。
事実、コンピュータ科学系でトップクラスの研究者からアメリカやカナダの研究業界の息苦しさを聞くことがあり、日本にもまだまだチャンスがあります。お家芸が確立した地域は基本的にそれを守りながらの戦いになります。もちろん人材の蓄積や資金面での優位はあちらにありますが、ただボヤくより、我々は変化球で面白いことができるだけの自由を持っているとポジティブに考えたほうが得策です。
JST ERATO 五十嵐プロジェクトに参加していて、五十嵐先生と一緒に研究がしたくて日本にきたんだ!という海外の学生・研究者の多さにびっくりしました。日本は何人かのスター研究者のおかげで持ってる、というような意見を目にしましたが、これはどの国・研究所でもそうだろうと思います。問題は、どうやってそのような人を軸にした企画をタイムリーに回していくかです。